多分、荷揚げ屋は、自分の中でワースト現場というものを決めているのではないでしょうか。
いろんなワーストがありますよね。
環境、状況、材料、数量、人数など。揃うべくして、条件は重なります。
ありえないことが、起こり得るのが、現場です。
僕は、荷揚げ屋になって、3年目です。
今回は、新人の方に向けて、反面教師というか、
僕が荷揚げ人生で一番キツかった体験談をシェアさせていただこうと思います。
ハンカチを準備して読んでください!笑
お盆、自衛隊の山岳訓練
蝉しぐれがサビに入る8月15日お盆。
お盆というものは、お墓参りをするのが日本の風習だと思っていた。
でも、荷揚げ屋の夏は長い。というか、年中夏みたいなもんだけど。
工事の内容は、民家の床の張替え工事だった。
事前に社長から聞いていた情報は「木材、フローリング」だけだった。
だいたいこんな感じで、ざっくり仕事内容が送られてくる。
朝8時、現場に着いてみると。
3t車1台。
物量は標準だと思う。90×90mm×3m角材20本、フローリング20束、ベニヤ30枚、その他木材50本位、ノリ缶2つ。とか。
搬入の経路が悪かった。
住宅街の中の駐車場にトラックをつける。
住宅街の中にある石段を登って、山の中腹にあるおばあちゃんの家まで材料を手運びする。
階段があるので、トラックでは、おばあちゃん家までいけない。
「おばあちゃんは、普段、どんな生活をしているんだ」と思った。
トラックから、荷物を取って、階段を20段上がって、緩やかな凸凹のコンクリートの坂道を歩く。100メーター位、ひたすら。
重量物は、一瞬であればそこまで重たくはない。
でも、長距離を移動するとなると話は別だ。みるみる握力が無くなっていく。
短距離走選手が、フルマラソンに出ているような感覚だ。
荷揚げ屋は、瞬発の筋力が高い。
- 階段さえなければ
- もっと、距離が近ければ
- トラックが民家の横に付けれれば。
と、ないものを願った。1回の往復で、最短で10分かかる。
どんな現場やねん!ちょっと搬入しただけで、このままでは終わらないことに気付く。
昼まで休憩をせずに、運んでいた。
職人さん達は、昼になるとどこかへ行ってしまった。
20分だけ、休憩しようと思って、社用車に乗り込み、急いで近くのセブンイレブンに昼ごはんを買いに行った。
すると、社用車が段差を乗り上げた。最悪だった。疲れと焦りで視野が狭くなっていた。
車の下部に、ごっそり傷が入った。
社長に連絡して深く謝罪した。
昼からの気分は、最悪だし、修理費どうしようとか、考えながらひたすら運んでいた。
すると、職人さんから、
「午前中運んだ材料あまりそうだから、下ろしてくれ」
「あと、ゴミも下ろしてくれ。」
と言われた。
普通ベニヤは4~6枚ずつ運ぶけど、最後の方は、1枚ずつ運んでいた。
終わらなぇし、足ガクガクだし、車バッコリキズ付けちゃったし。
材料3割余らせているし、ゴミも沢山でるし。
下り坂の方が踏ん張るのキツイ。
涙はこころで、寸止めされていた。
考える力もないくらい、燃え尽きた1日だった。
自衛隊の山岳訓練てきっとこんな感じだろうなぁって、思った。
その日の夕焼けはすごく汚れて見えた。
精神的にまいった、大手ゼネコンでの事故
福岡の六本木こと、六本松。
きらきら輝く繁華街(ちょっと盛りました)のいかっくで、薄暗い建築現場で働く作業員がいることを知ってほしい。
作業内容は簡単。ハンドリフトという、油圧で原動機が不要の、手の力だけで数トンをちょっとだけ持ち上げることができる機器で、資材を移動するだけ。
その時は、天井の材料(ジプトン)を2人で移動させていた。
1人が、ハンドリフトで、材料をすくって、移動する。
もうひとりが、りん木をもって、移動場所にセットする。
こういう段取りで、作業していた。
僕は、ハンドリフトの操作をしていた。
僕は、同僚がりん木を置いたのを確認せずに、材料を下ろしてしまった。
同僚の指が、りん木と材料の間に挟まった。鈍い音がして、同僚が悶える表情をしていた。
すぐに、ヤバいと思って、リフトを上げた。
同僚の手袋は真っ赤になって、血がしたたり落ちていた。
もう、なんて言っていいのか、ほんとうに申し訳ない気分でいっぱいだった。
人をケガさせた経験は始めてだった。
切断じゃなくて骨折だった。金で解決できる問題じゃないけど、慰謝料も払った。
ケガで仕事ができない期間がでてしまうので、その分や、謝罪の意味も込めて。
その後、関係者が集められて、事故を起こした原因の調査や、再発防止策の検討会が開かれた。
大手のゼネコンだから、信用を一番にしていて、
労災0記録というものを付けていた。自分がその記録を途切れさせた。
長縄跳びで引っかるのとは、責任の重さがまるで違った。
あとから聞いたのだが、社長が土下座してゼネコンに謝罪もしたそうだ。
社長は、僕に対して、「怒る」というよりも、呆れていた。
もう、自分の不甲斐なさというか、注意力のなさというか。甘さというか、怠惰というか。
ずっと、気が気がじゃなかった。
加害者になる気持ちがこんなに辛いとは思わなかった。
事故の後も、そこの現場にも、しばらく入るのでどういう顔で仕事をしていいか分からなかった。
他の同僚にも、嫌味を言われたりもした。
すごく滅入っていた。
そんな精神状態で作業するもんだから、OAフロアを積んでいるパレットのゴミを捨てる時に、パレットの山を不安定に積んで、崩してしまい、クロスを傷つけた。クロス屋さんや、またゼネコンに迷惑を掛けた。会社の信頼も底辺まで落とした。
何をやっても上手く行かないし、迷惑ばかり掛けてしまうし、
荷揚げ屋を辞めようと決心した。
でも、社長は聞き入れてくれなかった。
午前0時~午前5時、3人でボード12mm1000枚
夏の深夜、風のない密閉された階段室を、ボード横持ちで、階段下ろし。
階段は、踊り場があって、折返ししているタイプの階段だった。
階段には足場が立っているし、背持ちができない。
1年位経験していたが、「握力地獄」とはまさにこのことだった。
人間が寝ているべき時間帯というのもあったのだろう。
すごく、体が重いし汗が止まらない。
水分も補給できない。完全になめていて1リットルの水はすぐに空になった。
深夜、風がなく湿度が高い、水分補給ができない、握力が限界、動線も狭い。
これだけ、条件が揃うことも珍しい。
逆に神現場だったのかもしれない。
そういう限界の状態になったときは、
自分が何の為に働いているのか、ふと考えてしまう。
あれ、俺ってなんで荷揚げ屋しているんだっけ。
このボードを運び続けた先に何があるんだっけ。
と。
答えは、でない。
ただ、もくもくと資材を運ぶことには、意味を見いだせなかった。
多分、限界状態で思考能力がないからだろう笑
あとがき
なかなか、貴重な経験をしている。と思いたくないです。
この記事だけ読むと、
小学生の頃に、オカンが「もっと勉強しなさい」と言った意味を体現しているように思える。
キツイことばかり書くと、また業界のイメージダウンですね笑
今度は、荷揚げ屋になってよかった体験談を記します。
あればいいけど笑
よろしければ、
ぜひコメントやTwitterから、あなたの、ワースト現場を教えてください。
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